沖縄海洋博は1972年、沖縄がアメリカから返還された記念の万博!手塚治虫が展示プロデューサー。世界初の海上都市アクアポリスに長蛇の列!でも実は失敗?それとも?大阪万博は大丈夫?
沖縄海洋博の詳細
開催年 | 1975年7月20日~1976年1月18日 |
テーマ | 「海-その望ましい未来」 沖縄返還記念 |
主催 | 日本政府 |
運営 | 沖縄海洋博覧会協会 |
参加国 | 日本を含む36ヶ国 |
参加国際機関数 | 3 |
会場 | 沖縄県国頭郡本部町 |
アクセス | 直通バス(沖縄自動車道は未開通。一般道経由) |
手塚治虫プロデュースのアクアポリス
この博覧会の目玉は水上に浮かぶ未来都市「アクアポリス」でした。「半潜水型浮遊式海洋構造物」100メートル四方、高さは32メートルという巨大な人工島で、台風などが来た時には、その喫水線(どこまで水に沈むか、水際の線)を変えられるすごい設計でした。
展示プロデューサーは手塚治虫。
手塚アニメの世界みたい…
アクアポリスの総工費は123億円。海洋博のシンボル的存在として多くの注目を集めました。テレビや記録映画の映像を観た方もおられるのでは。
海洋博の最終収益と入場者数
海洋博は成功を収め、収支も黒字だったのですが、目標としていた入場者数450万人には届かず、約348万人の来場者でした。そのため、「沖縄万博は失敗だった」と言う人も多いのですが、本当にそうだったのでしょうか。
沖縄県の那覇市から、沖縄海洋博の海上だった本部半島までは今、自動車で行っても1時間20分ほど掛かります。当時はまだ道路が有料整備されておらず、2時間弱は掛ったかもしれません。そんな場所で沖縄海洋博は開かれました。
来場者は348万人でしたが、よくそんなに、こんな遠い半島に人が集まったな、というのが正直なところです。
当時の沖縄県の人口と来場者数
よくよく考えてみれば当時の沖縄県の人口は100万人。(2020年で145.7万)そんな県の海岸線に348万人も集めた、というのは実は大健闘と言えるかもしれません。まわりに人がいないので、他府県そして海外から海を越えて来場してくれないと、348万人は不可能だったのですから。
那覇から車で2時間もかかるし…
そして、大阪万博2025について考えてみましょう。大阪万博は夢洲という人工島で行われます。ここは埋立地。大阪駅から夢洲までは自動車で約20分です。思ったよりも大阪中心部から近いんです。大阪万博の想定入場者数は2820人。大阪府の人口は882.3万 (2019年)ですが、沖縄県と違い、他府県とも陸続きですので、より来場しやすいです。
2023年の近畿2府5県の人口は約2200万人です。
沖縄海洋博の参加国は36ヶ国でした。大阪万博は2023年3月24日時点ですでに153ヶ国。ただし、沖縄海洋博はそのテーマ「海-その望ましい未来」から“海のある国家”が参加していたため、この参加国数に落ち着いたとも言えます。
まとめ
沖縄海洋博閉幕後、世界初の海上実験都市アクアポリスは、しばらくはレストラン営業をしていましたが、老朽化が進み、2000年にはアメリカの企業に“鉄くず”として廃材再利用を目的に売却され、中国・上海に船で引っ張って行かれたとか。悲しい。沖縄海洋博の跡地には1976年(昭和51年)に海洋博公園(国営公園)が設置されました。
大阪万博2025は、いったいどんな博覧会になるのでしょう?
ちなみに沖縄海洋博のマスコットマークの愛称は「オキちゃん」でした。
大阪万博2025は、ご存じ「ミャクミャク」です。
オキちゃんなんか知らん
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